中島みゆきは聖人ではない。人間らしい「ご乱心時代」の話

令和の今日、中島みゆきは 聖人化 されている。

御年70歳を超えて、今なお「糸」や「ファイト!」などは若者の応援ソングとして一線級の人気を誇っている。

しかし昭和時代から中島みゆきを聞いてきたオールドファンには、少し納得いかない部分もある。

昭和50~60年代に「中島みゆきを聴いている」と口に出せば、

「えー、暗いー!」

と笑われたものです。

 

そう、1980年代の中島みゆきは暗かったのです。ネクラの肖像。

まずデビュー曲の「アザミ嬢のララバイ」が暗い。

春は菜の花 秋には桔梗 そして私はいつも夜咲くアザミ~♪

  

中島みゆきの出世作「時代」はポジティブな応援ソングでしたが、みゆき節が大爆発したのが

わかれうた

であります。

この曲がレコードから流れてきた時、私は衝撃を受けました。私は当時小学3年生でした。

道に倒れて誰かの名を 呼び続けたことがありますか?

いや、普通ありませんよ。

 

中島みゆきデビューの頃

中島みゆきのデビュー曲はアザミ嬢のララバイ。1975年9月リリース。

代表作「時代」が1975年12月リリース。初のオリコン1位を記録した「わかれうた」が1977年12月リリースです。

  • 1975年 9月 アザミ嬢のララバイ 7.8万枚 38位
  • 1975年12月 時代 16万枚 14位
  • 1976年 3月 こんばんは ?枚 184位
  • 1976年 7月 夜風の中から ?枚 151位
  • 1977年12月 わかれうた 77万枚 1位

この時代に全盛期を迎えていたのは山口百恵、キャンディーズ、沢田研二、ピンクレディー、志村けん、王貞治、およげ!たいやきくん。

荒井由実の「あの日にかえりたい」はオリコン1位を獲得しましたが、「ルージュの伝言」はまだ45位でした。

このタイミングで世の中に飛び出したのが中島みゆきの「道に倒れて誰かの名を~♪」でした。

これには小学生のみならず、大人たちもさぞや驚いたことでしょう。

 

当時のヒット曲には小林旭「昔の名前で出ています」、石川さゆり「津軽海峡・冬景色」、都はるみ「北の宿から」、太田裕美「木綿のハンカチーフ」などの失恋ソングも多数ありました。清水健太郎「失恋レストラン」もこの時代でした。

だから「失恋ソング=売れない」とか「失恋ソング=暗い」とは必ずしも決め付けられないものでした。

しかし演奏がどんどん 大音量化 していく時代の中で、中島みゆきのアコースティックな演奏と歌声はひときわ古いというか、昔懐かしいフォークソングを継続していたと言っていいだろう。

 

ピンクレディーがテレビで「ウー、ウォンテッド!」と叫び、UFOやサウスポーがピポパポとした電子音を響かせる中で、中島みゆきはアコースティックの音色で道端に倒れる女を歌っていたのである。小学生がこんな歌を聴いていると確かに「暗い」と笑われて仕方ない側面はある。

だが私だって志村のコントに爆笑してたし、沢田研二と王貞治のモノマネもした。それと同じように、中島みゆきの世界にも奇妙な魅力を感じていたのである。

 

1977~78年の歌謡界

1978年1月19日、TBS系列で伝説の歌番組「ザ・ベストテン」が放送開始した。

記念すべき第1回の第1位はピンクレディー。中島みゆきは第4位であった。

曲名歌手出欠
1位UFOピンク・レディー
2位わなキャンディーズ
3位しあわせ芝居桜田淳子
4位わかれうた中島みゆき
5位禁猟区郷ひろみ
6位憎みきれないろくでなし沢田研二
7位ブーツをぬいで朝食を西城秀樹
8位若き旅人狩人
9位泣き虫清水健太郎
10位風の駅野口五郎

中島みゆきは貫禄の出演拒否。若き中島みゆきがこの頃テレビで歌を披露することはほとんどありませんでした。NHKの紅白歌合戦ですら、長年出演拒否を続けました。

しかし第3位に入った桜田淳子の「しあわせ芝居」は中島みゆきが作詞作曲した曲だったし、ベストテンが放送開始される1ヶ月前の紅白歌合戦には、研ナオコが中島みゆきの曲で初出場を果たしていた。

志村や王のようなわかりやすい魅力は無かったが、中島みゆきには「わかる人だけがわかる魅力」に満ちていた。

ちなみに1989年に放送終了を迎えたザ・ベストテンの最終回で第1位を獲得したのも中島みゆきの「黄砂に吹かれて」だった。歌ったのは工藤静香ですが。

 

中島みゆきは自身の曲だけでも5曲ベストテンの1位を獲得したが、出演はとうとうゼロに終わった。

工藤静香が初めて1位を獲得した時に、中島みゆきがスタジオに生電話を掛けてきたことがあって、あの時はたいへんビックリしました。

2002年12月31日、ついに紅白歌合戦にも初出場するのですが、中島みゆきはお祭り騒ぎのスタジオには現れず、一人静かに黒部ダムの地下通路で「地上の星」を歌ったのでした。歌詞を間違えちゃったけど。

 

1985~1990年の「ご乱心時代」

中島みゆきは昭和時代から令和時代まで、50年間ずっと1位だったわけではありません。

円高とバブル経済に日本が浮かれた時代に、中島みゆきは少し苦しい時代を過ごしてきました。

サザン、ユーミン、チャゲ&飛鳥など、同じ時代にデビューしたライバルたちはどんどん大音量化して、海だスキーだヤーヤーヤーと路線変更し始めました。彼らはテレビCMやドラマの主題歌でブレイクしました。

 

同じ頃、中島みゆきも大音量化し始めました。

女に生まれて喜んでくれたのは 菓子屋とドレス屋♪

生れ落ちて最初に聞いたのは落胆の溜め息だった♪

以上、1986年の「やまねこ」より。

世間一般的には、昭和63年から瀬尾一三氏と組んだことにより、中島みゆきの「御乱心時代」は幕を閉じたと言われていますが、私はそうは思わない。

1985年の「孤独の肖像」までは古き良きフォークソングのスタイルを踏襲してましたが、1986年頃から中島みゆきにも徐々にシンセサイザーの音量が増してきました。

私と研ナオコはこの時期の中島みゆきについて

中島みゆきは時々何かに憑りつかれることがある(笑)

と見ていました。

当時はまだ中島みゆきが大音量で太い声を出す姿に違和感があったのです。

 

「地上の星」や「銀の龍の背に乗って」のように、お腹の底から地面を震わせるような力強い声に私と研ナオコはとても驚いた。時代やアザミ嬢を悲しい声で歌うみゆきちゃんしか知りませんでした。

この時期、中島みゆきがラジオでコミカルな声を出していたことは知っていましたが、歌と人は別物なので、そこに違和感はありませんでした。悪役を演じた俳優がめちゃくちゃ優しい人だってことと同じで、コミカルなおばさんが寂しい失恋ソングを歌うことも全然普通でした。

 

だがわかれうたの中島みゆきが「あたいの夏休み」や「やまねこ」で見せた魔女のような野太い声にはとても驚いた。

私は「あした」や「Maybe」が好きで、「浅い眠り」とか「空と君のあいだに」のことは 邪道だ!と騒いでいました。

 

当時の私は高校生・大学生になっていました。

小学生の時には見かけなかった中島みゆきファンが、私の周りに増えてきました。

その頃、CMやドラマの中に中島みゆきが使われるようになり、ますますみゆきファンの数は増えてきた。

 

私はこの頃、複雑でした。「浅い眠り」はフジテレビのドラマで、「空と君のあいだに」はアイドル的な子役のドラマだったからです。

中島みゆきの曲がドラマに使われるのは別に珍しいことではありません。北の国からでも金八先生でも名場面に挿入されてきました。中島みゆきの曲は山田洋二作品とも相性が良かった。

しかしフジテレビの恋愛ドラマに中島みゆきはふさわしくありません。そんな仕事はユーミンとサザンにさせておけというのが私の考えでした。

俺のみゆきちゃんはテレビに出ない。刑事ドラマの「たかが愛」はなかなか良かったが、NHKの「地上の星」も私はキライでした。

 

そして21世に「糸」がブレイクしました。きっかけはミスチルの櫻井和寿がコンサートでカバーしたから。

糸は今や結婚披露宴での定番曲らしい。かつて道に倒れた中島みゆき、嘘をついてと歌い続けた中島みゆき。それが今や縦の糸と横の糸である。そんな時代になったのか…

私も糸が好きです。でも結婚式で中島みゆきは聞きたくなかった。雨の夜に一人寂しく聞くのが昭和の中島みゆきだった。

まわる、まわるよ、時代は回る。

令和時代の音楽の教科書に掲載された「誕生」の中には次のような歌詞がある。

生まれてくれて Welcome

令和のみゆきは最初に聞いた声が「welcome」になってた。

昭和のみゆきが最初には聞いた声は「落胆の溜め息」だったはずなのにさ。

 

昭和の中島みゆきはよくいたずら電話をしていた。マリコにもかけたし、私と似ていない長い髪の女にも電話をかけた。そしてついには受話器を外したままにされた。

そういうみゆきに昭和のファンは共感した。

「励まし女王」みたいな令和のみゆきもキライじゃないけど、かつて松任谷由実が「恋愛女王」と言われたみたいで、どこか軽くて単純に見えます。

 

デジタルの時代はオンとオフしかなくて、グレーゾーンがない。グラデーションが足りない。

中島みゆきは聖人じゃありません。たくさんの寂しい思いや辛い思いを経験して、それを乗り越えて今、

「そんな時代もあったね」

と笑っているのです。

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